2013年12月07日 18時27分 | カテゴリー: 総合

多摩の丘の上でタマげた発見だわい

ジョギングもウォーキングもこのところお休み。一旦、休み癖がつくとなかなかエンジンがかからない。古バイクも冬の間、エンジンをかけないと春先、えらい苦労するがこちらはiPhoneのタイマーで毎朝11時になるとエンジンの音がするようにして、それがなったら10秒でも20秒でもエンジンを掛けるから快調そのもの。身体も似た様なモノだから来週から減量再開だわい。 で、本日はこのほどゲットのバイク靴と、ハンカバと軍手でどのぐらいの寒さまでおっけーかなあ、と知りたくて3時過ぎにバイクで多摩丘陵方面へ。

いつのまにか新小金井街道から甲州街道の十字路がまっすぐそのままずーっと競馬場の南側にでられて多摩川の橋のたもとにでられるようになっている。どころか、そのまま川崎街道を横切って「向陽台」団地の中まで一直線でいけるようになっている。前はここがごちゃごちゃしていてとても大変だったんだけどね。

多摩の団地はきれいな丘の上に、日本離れした広々道路で快適な異国のよう…なんだが、はて、ここに住みたいかというとどうかなあ。とにかく店とか少ないのね。一見、環境は最高にみえるんだけど、ほんとに「住めば都」かどうかはわからない。むかし札幌五輪の選手宿舎だった真駒内団地にちょっといたことがあるが、当時としては最新の団地も、みかけはカッコ良かったが、どうしてもすきになれなかったっけ。俺は向いてないのだな。もっとごちゃごちゃ雑然として下街ぽいところが本当は好きなので有る。選べるなら北千住とかあんな感じがいい。 ま、そんなこというてもしょうがないから、バイクでまわりながら多摩丘陵の夕暮れをみられそうなところを捜すが案外無いねえ。やっと富士見駐車場というところでちょっとした高台の散歩道があったのでバイクをとめたら、なんとゴルフ場とお寺の墓地がいっしょになっていた。その道はお寺の私道のようだね。

ま、いいや。冨士山はみえなかったが低い丘陵が八王子のほうになだらかに続いている夕景色をみたし。バイク靴も快調で、ハンドルカバーはなんと軍手でほんとうに暖かい事を確認した。昔、高価な冬用バイクグローブを買って、安心して秩父にいまごろいったことがあるんだが、帰りに大菩薩峠で指がかじかんでバイクをあやつれずどうなることかとおもたが、ハンカバはその10分の1の値段で数倍あたたかい。これならグリップヒーターなしで東北道でもいけるんではないだろうか?

さてその帰りに丘をおりようとしたらカーブの先になにやら公園とも神社ともつかない細長い広場が有る。神社ならお参りして行こうとバイクを停めてみにいったら、ズラリと並んだ安っぽい、といっては失礼だが、ただの石柱に、仰天する様な地名が掘り込んである。曰く「第一次青年義勇隊臥竜開拓団慰霊碑」「満州開拓青年義勇隊對店訓練所の碑」「第一次柏原義勇隊開拓団殉難者の碑」「第二次広仁義勇対開拓団広島県慰霊碑」「嫩江秋田佐川中隊慰霊碑」…全部、満蒙開拓団の碑、それも慰霊碑である。200本以上ありそうだ。全国にわたっている。

入り口のえらく簡単な立て札には2013年に、満蒙なんとか友の会が東京都に寄贈したちうはなしが書いて有るが他には、奥の石碑に満蒙開拓団の8万人が非業の最期を遂げたが墓も無いままなので、ここに碑をたてた、みたいなはなしが書いて有る。

うーん、なんでここなのか、ようわからんなあ。これこそ国策の犠牲者だから靖国神社じゃないのかい?ようしらんけど。

満州開拓殉難者之碑 もう開拓団なんていったって誰も詣でる人もいないのではとおもったが、中央の大きな「拓魂」の碑にはしっかり花束がささげられ、入り口にちかい碑には花と日本酒が置かれていた。なんだか切ないのう。ま、今日は時間もないから、またこよう。今度きたときはひとつひとつこの碑の文字をノートにかきうつしてやろう…などとおもったのは、はて、おととい見た艾未未の映画で、四川省のボロ校舎の下敷きになって死んだ生徒の名前を集めて弾圧された話をみたばかりかなあ、それともなにやらあぶない「国家機密保全法」なんてのができちまったせいかもしれん。いや、多分、ただ爺になったからかもしれんな。

ま、爺はもう悲しいからこういうのを深く思いを馳せて文章を書く力がないわい。

書いてる若い人がいた。

http://d.hatena.ne.jp/Hainu_Vele/20110429/1304060792

これは良くかけている。相当な筆力の人だね。

執筆者: Jun