2013年11月18日 16時34分 | カテゴリー: ダイエット

撥雲館あたりまで

冬型高気圧なのか、毎日天気がいいから自動的に家から歩き始めるようになっちまった。そりゃいいが、さてどこへいこう、ということになると迷うね。ここから北はただの住宅街がつづいてて小平霊園ぐらいまでさして感動するようなものもないから、どうしてもこの界隈じゃぴか一の野川沿いを下って府中、調布か、おいしいショーロンポーとか肉まん屋のある吉祥寺とか南、東が多くなる。西は立川方面だがこれも住宅街だからなあ。

近藤勇ゆかりの道場

こりゃひとつ綿密に、前の晩ぐらいに作戦をたてとかないといけないな。ただ、行き当たりばったり人生が趣味だったから、計画性と無縁の人格が爺になって足ヨワ、暇アリになっただけだから、計画性というとテンからないんだよねえ。

ま、それは明日のことにして、まあ、野川でいいや。公園の名前は色々でも要するに野川沿いから公園、多摩墓地、調布飛行場のひとかたまりは都内でもちょっとしたいい大緑地帯なのである。その証拠はこのへんは縄文時代、つまり3万年ぐらいまえからしっかり人が住み着いていたあとがゴロゴロでてくる。東京の中心部がまだ海だった時代から水よし景色よし、自然のめぐみよしだったらしい。

野川公園でヨガの真似をして、保育園のこどもたちの野外授業をみながら一服、iPhoneのクラクラ軍勢で近所の村を略奪しながら、(三十分に一度、軍勢が揃うから丁度休憩タイムになるのあよろし)、調布の飛行場まで。

途中、近藤勇ゆかりの天然理心流道場「撥雲館」というのがいまだに保存されている。いま、のんびり浅田次郎の新撰組シリーズ「一刀斎」をよんでおるよって、よけいに親しみを感じる。うーん、ただちょっとおおきめの木造の納屋ぐらいにしかみえないがね。こういう点は我が国の木の文化は西欧の「石の文化」にくらべるべくもないよなあ。わずか150年前の建物が保存できかねる。あっちじゃ千年前の家に今も平気で住んでいるわな。ま、善し悪しじゃないからしょうがないか。これを頑張って保存した人達がいたということは、プラスイメージの観光目的なんていまどきとちがって、当時は「負け組」にしてはめずらしいかもしれないな。よほど人望がそのひとたちにあったんだろうて。

近藤勇ゆかりの撥雲館

調布の高台からでも、数年前にたった武蔵小金井駅のわきの高層マンションがランドマークにみえるな。府中からバスでもどろうかとおもったがそのまま歩いて多磨霊園を抜けてのんびりと。こういう日は本をもってきて墓地でよめたな。あすからホコリかぶったままのKindleをもってこよう。中に聖書と昔懐かし川上宗薫のエロ本しかないから、今晩、なんか無料本を追加して、と。

途中、わがクラクラ軍勢が戦ってるiPhoneの電池がなくなりそうになって、かねてよりもちあるいているANKERの薄型増槽をつないだが、増槽のほうが空だったw。これじゃなんにもならんねえ。しかし、電池喰いのiPhoneの増槽も毎回充電してもってあるかないかんというのもなんだか不便な話だ。もうひとつ買っても同じ事かな。しかし散歩だからいいが数日のツーリングなんか不安でこまるなあ。テントであそんでたらすぐなくなっちまうぞ、これじゃ。

今日の多磨霊園偶然発見は「下村観山」。たしか有名な画家だったが墓は詣でたあとがなく灌木がしげっとるなあ。

wikiによると;下村 観山(しもむら かんざん、1873年(明治6年)4月10日 - 1930年(昭和5年)5月10日)は、明治 - 昭和初期の日本画の大家。1873年(明治6年)、和歌山県和歌山市に生まれる。8歳のとき東京へ移住。最初狩野芳崖に、その没後は芳崖の親友である橋本雅邦に師事する。東京美術学校(現・東京藝術大学)を第一期生として卒業後、同校で教えていたが、1898年に岡倉天心が野に下ったときに行動を共にし横山大観、菱田春草とともに日本美術院の創設に参加した。1905年に、師に同行し茨城県北部の五浦海岸の別荘「六角堂」へ移住し画業を深めた。下村観山の墓 この前には灌木等しげってしまってた。まあ墓地管理の人がそのうちきれいにしてくれるだろうけどね。

とあるが、もう子孫がおらんようになっちまったのかな。こりゃ有名人は墓なんぞはあまり麗々しく名前を刻まん方がええようなきがするね。何代かあとに馬鹿にされちまうのがオチだ。現にこの墓地の入り口には立派な貴名受けがあるものの、名前もプレートもはがされてだれがだれやらわからん爺さんの銅像があって、みんながみる場所だけに却って痛々しい。

多磨墓地はもともとは1920年ごろ東京郊外にできた新しい墓地で明治の青山墓地辺りに比べると新参なんだろうが、いまや高級なる小金井ゴルフクラブ並みになっとるから、とても庶民はそう入れるところではない。

ま、もちろんわれら無名人は散骨かなんかでよろしい。わが義父母はえらい人達であったとおもう。わしもちゃんと遺言でもしておこう。沖縄行きのフェリーから撒いてくれ、とでもいうとくと沖縄旅行を否応無しにせにゃいかんからあんがい喜ばれるかもしれんな。ま、そのまえに寝たきりとかとかで十年もヨロヨロ生きてたんじゃあまりよろこばれんじゃろな。爺修行の終点の着地はなかなかこりゃむずかしい。

せめてそのまえに生涯の念願のBMIー22を実現せねば。しかし、毎日体重を量っておると、どうも増えとるがな。どういうことかねこりゃ。昨晩導入したiPhoneの歩数計時によると、本日の歩行は途中から計りだしたが、10472歩の3時間33分、だそうだ。ま、のんびりだったからな。おや消費カロリーもあるぞ。327kcalねえ…この分、腹の周囲のアブラから使ってくれたらいいんだが、どうもこのところ毎夜舐めとる芋焼酎から補給しとるらしいね…

執筆者: Jun