2013年11月14日 00時51分 | カテゴリー: 総合

武蔵国分寺

昨日からニワカに信仰心に目覚めたウォーキング爺には素晴らしい天気。これを無駄にしてはお天道様に済まないから午前中からでかける。
一昨日は東、昨日は南だったから今日は西にしよ。
西の寺社参りといえばここはやはり「国分寺」だろうと、野川沿いに西へ。

住宅街を抜けて抜けてはて、どこだっけか?という心配がiPhoneのおかげでなくなったのはありがたい。自転車では何度か通り過ぎたんだが歩いて行くとなると感覚がちがってようわからんが、マップアプリで一発でわかるわい。
ただこやつ、電池の大食いやろうだからポケットには同じ大きさの充電器をいれてそこからコードを引っ張りだして、つないだままにしている。まあ、実は散歩しながら「クラクラ」のわが軍団を出撃させて遊びながらやっとるから電池を喰うてもあまり文句はいえんのだが。まさかiPhoneをシゴトで使ってる人はそんなアホなことはせんじゃろ…シトルカモシレンナw
さて、武蔵国分寺は奈良の大仏をおったてた光明皇后の頃、というから奈良時代中期の建立…なんだが、いってみると「中門跡から見る金堂跡」なんていったってな〜んもないただの野っ原に庭石みたいなのが何個かおいてあるだけ。こりゃ「寺社参り」のうちにはいらんがね。お賽銭あげたくても賽銭箱もお宮もないがな。
近くの第四中学校の裏側にこじんまりした「資料室」があった。なんだか見落としそうなロクに看板も無い小さな部屋だが一応、ちゃんと年配のおじさんが常駐しているが、要するにここしか資料室はないのかね?(帰宅後調べたら湧水園という別の場所にに武蔵国分寺跡資料館というのがあるらしい)。
ま、それでも、土師器や須恵器、灰釉の粗末な杯みたいなのとか、古道具屋で数千円で買えそうな仏像とかがあって、展示して有る漢字ばかりの古文書を現代中国語風に読み下したら「なんとかを立て直そうとした従8位のこのへんのボスが苦心して京都の許しをえてやっとこさ再建したうんぬん」とか書いて有るのがおもしろかった。
枕草子で清少納言が馬鹿にしてる下級貴族は5位とか6位。それにくらべて武蔵の国のこの一円のボスがなんと8位の従ときた。まあ、日本で中央役人が威張るのは1000年以上まえからなんだな。ましてその御本家の中国ともなれば、役人が一人6億円もって5,6000人が既にとんずらしたというのも無理はないw。
それに平安時代たって、貴族でもこういう土器に毛のはえたような門で酒を飲んでいたんだなあ。こないだ小金井公園の陶器市で一山100円で売っていたああいう陶磁器の登場はまだ大分先なのかしら。
同時に出土した古銭が古いのが開元通宝で新しいのが永楽通宝だったね。開元通宝は唐代に武徳4年(621年)に初鋳、永楽帝は1300年代だから、いまはただの土の下でも、結構長い間反映したらしい。結局は亡び去ったわけだが、時期ははっきりしないとか。足利のころとかてえと。
ま、すこしカシコクなった散歩。これで3日続いた。三日坊主離脱へ、あすもがんばるぞ〜w。

執筆者: Jun