2010年10月23日 18時25分 | カテゴリー: 総合

寒空の山岳道路を夜中に走るのはちょっと老骨

おっと、帰宅の旅を書いておかなければ。わすれてしまうところだ。翌日、朝、カミサンと宝塚ぐるめ組の相棒でしっかとおいしいサンドイッチとお握りができたような気がする。なんせ専門家だから、こっちはただ食べるだけ。作ってる間に、きのう午後、この近くでおっことした鍋のフタをさがしに散歩へでかけ無事発見。コッフェルのフタだから誰も拾うひとがいなかったが、もう30年も愛用している鍋だからフタがないと落ち着かない。

チェックアウトタイムが10時。ちょうどいいね。この一晩お世話になった、二度と来ることはないだろう豪邸に別れを告げて、湖岸を南下。そのあと、彼らの知り合いの陶芸家のアトリエにいって、自力で大修繕したという茅葺き農家でおちゃをごちそうになる。湖岸から車で10分ぐらいの山の上だったが、けっこうこのあたりにアトリエを構えるアーティストは多いらしい。最近では妙に開発が進んでどうろがよくなって迷惑だとか。

そのあとこれまた取材で発見、予約したという安曇川の「大海」というお見せでまことにけっこうな松花堂弁当のお昼を戴く。これは生涯で一番うまい松花堂弁当であったな。ああいうものは作り置きできるところがミソなんだろうが、ここのは松花堂の顔をしているが、全部、昼に向けて調理したてなんだ。どうして2000円でこんな料理が出来るのかフシギ。きっとゲンミツな予約制にして一切、無駄がでないようにしている・・・でも、それだけじゃむりだよ(^^;) さて、ここで一同、解散。宝塚、姫路、そしておれは一気に東京へ。1000円高速が使えるし、ちと用事もあるし、もう1週間目だしね。ほんとはこのあと岐阜県の南側をキャンプしてもよかったんだが、ま、楽しみは来年にとっておこう。

で、最初は琵琶湖大橋にむけてくだっていったのだが、15分も走ったところで渋滞の兆しがみえたから、Uターンして元来た高島から海津経由で木之元に向かう。けっこうこれが時間がかかって、自分がきのう遊んでいたところは存外距離があったんだ。これで1時間以上かかってしまって、あまくみていた予定がくるってえらいこっちゃ。 東名高速きらいだから中央道で帰ろうとしたのだが、名古屋の手前で曲がって恵那山あたりで日が暮れてしまった。

日のある内に諏訪あたりまでいけるんじゃないか、とおもっていたのだが、全然無理。わがセロー君は高速走行が苦手。で、日が暮れると中央道は山岳道路だから寒いのなんの。ゴールドウィンのバイク用上着はなかなか上等で今回これまで寒い、とおもったことがなかったんだが、夜の1000メートル以上を100km近くで走るとやはり老骨には応える。

途中のSAで、ホンダの1000ccぐらいのレプリカタイプにのる青年に「さむいねえ」とこえかけたら、なんと夏用のメッシュで震え上がっていた。えーっ、おれはインナーの上に、カッパ着ようとおもってるのに、若さってのはスゴイ。でも、気の毒だからホカロンを1個進呈したらよろこんでいた、。ちゃんと首の後ろに張っていたところをみると、かなりわかってる人なんだ。つまり覚悟の上で薄着していたわけだ。

ライダーってのはけっこうオシャレで服装に気を配って、格好良くしてるんだってのはこの夏気がついたが、こうなると涙ぐましいなあ。ブルブルふるえる気温でも、さっそうと薄着して走るものなんだ・・・・ろうか(・・?)。おれは無理だわ。長袖下着、ジャージー、インナージャケット、アウタージャケット、それに雨着まで着たら流石に寒くはなくなったから、あとはトコトコ。

適当にどっかのSAでごろねしようかとおもったが、これは無理だな。やすみながらでもどんどん東京までいくしかないわ。高速に乗るとき買った大きなお握り、サンドイッチを諏訪までにくいつくし、熱エネルギーに変えて、まだ寒いから諏訪のモスバーガーでポテトチップの大を補給しながら前進あるのみ。手袋が夏用だからこれも寒い。冬用も持ってくるべきだったか。

かくて12時半に国立インターをおりたんだが、その寸前にエンジンがプスプスいって止まってしまったのはなんだったのかな。ガソリンはまだ1リットルぐらいあるはずだったんだが。危ないところだった。いつも余裕持ってないとだめだなあ。

それでもなんとかよたよたと無事到着。9時間ぐらいかかっとるな。琵琶湖から。しかし逆に言うと、それぐらいで行ける、ということでもある。一気に好天のとき琵琶湖までいって、あの湖岸にキャンプを張ってそこから行動開始、というパターンはありかもしれない。なに、そんなにいそがなきゃ高ぼっちで一泊して翌日、でもいいわけだ。でも、それはもう来年の楽しみだ。寒くて今年のシーズンはどうやらおしまいに近い。

執筆者: Jun