2011年01月22日 20時08分 | カテゴリー: 総合

一本のビニールポンプを探したために

ついにストーブを納屋から出す…って、もう冬も1月下旬、こんな時まで我慢していたのか?といわれると半分イエスの半分ノー。つまりなぜかエアコンの暖房でがんばってきたのよね。理論的には暖かい、という話を真に受けて。「寒いねえ、ことしの冬は」「あら、電気絨毯つけたらヒューズがとんだ」とか。で、正月帰省した息子夫婦用につかった小型灯油ストーブの油がまだ余っていたから、部屋に持ち込んで使ってみたら、あったかーい、のである。いつのまにかエアコン暖房にしてしまったカミサン当人がストーブの前にへばりついて「あったかーい」であった。

だいたいわしゃ、なんでエアコンにしちゃったのかようわからんうちに、こうなっておったわけで、このチャンスを逃すべきではない、と灯油ストーブ復活をアピールして、「灯油を外に置くのは不安だから」という程度の曖昧なる理由でカミサンがエアコンにしたのが判明。そんなことなら言ってくれたらいくらでも方法はあるのだ。なんせわがやにはスチール納屋が3つもあるから、全部鍵だってかかるし。

ま、とにかく善は急げ、でまず納屋からストーブをとりだす。義父母の遺産もふくめると7つぐらいあるんだな、これが。なんてもったいな。ここまでは快適だったがふと、灯油をいれる手動のポンプを探すことになって、えらいことになった。 あんなもなあ、そう真剣にしまってないからどこにあるかわからない。納屋をかきまわしているうちに、隠してあった臓物がいっぱいでてきて収拾がつかなくなり、ついに今日は半日かけて納屋の大整理仕事になっちまった。

たった1本のポンプみつけるのにえらい大仕事。 ま、しかしどのみちいつかはやらなあかんかったわけやし、あきらめて頑張る。カミサンは去年暮れから、なんとかかんとか、というモノを捨てる生き方に凝ってるからちょうどいいや。俺は安物のヘルメットを2つと、釣り道具と、つり用のライフチョッキだかを捨てることに。

3時間の奮闘のすえ、納屋はすっきりした…といいたいが、2つ目の納屋が待っている事に気がついた。そのあとには3つ目の、そして、納屋として使っている二階の部屋、と押し入れが…って、ビニールポンプは実は家中のゴミと不要品につながっていたらしい…なんか家中を掃除しなきゃいかんようになっちまったようだ。

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今日の翻訳

『艾未未が発掘した時代のジグソーパズル』  何清漣氏@HeQinglian: ブログ全文翻訳

①9年前、私が中国政府がどうやってメディアをコントロールしているかという研究に着手したとき、何かジグソーパズルの一片が欠けていると感じていた。それは中国のメディア人自身の言葉であった。

② 当時、6冊も取材ノート作ったが、まず自分もライターであり、相手に個人体験を強制的に聞き出せなかったし、取材対象も全国メディアではなかったので、そのままにするしかなかったのだった。

③ただ当時も中国に何万人ものメディア人がいるのだから、ひょっとして誰かが歴史の為に詳細に仕事の中味を書いて残してくれないか、と切望していた。

④艾氏の10年12月2日の16メディア人インタビューはこの欠陥を一部補完。対象はすべて全国メディアで、南方系列や対外宣伝物の「凤凰周刊」や新興のネットメディア人も。艾氏は当意即妙の質問。

⑤メディア、メディア人がこの中国という特殊な政治環境の中で出くわす可能性のある問題は大体言及されており、この時期の中国政府の制御下にあるメディア人の職業体験記録になっている。

⑥ もし中央宣伝部や新聞出版規定の法律文献が制御の骨、だとするなら、この訪問インタビューは血肉の様に、その制御ぶりの細部をみせてくれる。

⑦ まず、このインタビューは中国政府とメディア、民衆の3者の真実の関係に触れている。10年以上前から中国のメディア人は西側ではメディアが『第4の権力』と呼ばれていると承知していた。また中国の損害を被った人々もメディアに助けを求めた。

⑧ しかし国家権力のすさまじい制御下で、メディア人には一種の深刻な職業的無力感が生まれている。「目に見えない傘が多いかぶさって、そこから出るすべが無い」(喻尘)

⑨ この「見えない傘」は当然、政府の水も漏らさぬ監督体制で、報道人は如何に自制し、安全の限界を計り、かつ職業的道徳感を維持し、かつメディア自体の安全を保つか、毎日考えざるを得なくさせている。

⑩ かって報道界に居たとき毎度、宣伝部門に責められる度に、中国で報道に携わると「間違いを犯す」のが当然で、そうでない時は偶然に過ぎないとわかる。これは経験しないと(敏感な問題は取材しない記者も)この綱渡り感はわからないだろう。

⑪ このような統制の元で、報道人はかりに公正な立場から、不公平に利益を犯された人々のために報道し、政府の政策を変えさせようとしても、つねに気持ちがあっても無力である。

⑫ 「報道人であることは飛んで火にいる蛾の様な感じがする。直面するのは一面に燃え盛る火のような現状で、たとえ飛び込んで行っても何の役にもたてず、職業的敗北感が増すばかりだ。(符伟)

⑬ 次にこのインタビューは、報道人が如何に政府統制の隙を狙ってすれすれの球を投げるかを語る。予測不能のニュースとネットの速度、広がりを利用して、政府の統制も毛時代のような完璧なものではなくなっている。

⑭ 「 これは報道側からすれば制限されるテーマはより少なくなり、報道可能な題材はますます増えて、ますます統制が効かなくなる。:が、同時に統制法はますます厳しく、専門的になってきた」

⑮ 「だが、連中のやりたい事と客観状勢は乖離している。全体として一貫した統制の方針といったものはない」(程益中)

⑯ こうした状況は報道人に一定の空間をあたえ、たとえば時間差を利用して、上が禁止令を発する前に報道してしまう。あるいは別の角度から新ルートを切り拓き”合法的に越境する”とか。杨磊)

⑰艾未未と陈晓莹のインタビューで去年の上海大火について語るところに、読者は中国の良心的な報道人がいかに苦労して隙間を見つけようとしているかを知る事が出来るだろう。

⑱そこかしこに山ほどいる”上級”の統制に対し、報道人は付き合い方を学ばねばならない。「上が郵便でダメ、と言ってきたら、今『なぜ?』と聞き返すのも、絶え間ない交渉の過程なんです」杨磊)

⑲ 艾未未の《新京报》社長の戴自更対談では中国のメディアの責任者の苦労がわかる。「厭大変だよ、中国では。疲れる。バランスをとるのが」。この”バランス”はつまり政府の許す範囲とメディアの責任(知識人の意地)の平衡点をどうとるか、で」

⑳ メデイァを政府のメガホンに堕落することなく、社業として存もさせることや、毎日の些末な苦労、圧力を感じる事などはメディアの責任者としての当然の生活だと。(南方週末の左方曾は「自己批判書は基本技」と苦渋の笑い。

(21)第三に艾未未インタビュー中、喜ぶべき現象も。報道人の間にひとつの価値共同体が形成過程に。最低ギリギリに「常識」を説き、民主、自由等の価値観に正しい理解を持とう、というもの。

(22)まだこの共同体は全国の少数のメディアとネットに存在するだけだが、将来は中国のメディア界を明るく照らして行くだろう、とおもう。

(23)数年前、私は「南方週末誌を中心とする南方報業は中国メディアの士官学校であり、中国の本当に報道精神を持った最初の報道人を生むだろうし、其の人々がやがてメディアの骨幹となり中国の報道自由化に重要な役目を果たすだろう」と書いた。

(24)目下、中国のメディアは、まだ形にならず、まだ安定せず、生きながら死に、死にながら生き、命脈は尽きず、死に切ってもいない状態。

(25)艾未未のこのインタビューは厳しい統制下のメディア人が困惑しつつも挫ける事無い姿を見せてくれた。これは私が長年求めていた専制国家のメディア研究に非常に重要なパズルの一片だ。

艾未未;http://www.bullogger.com/blogs/aiww/archives/373835.aspx

何清漣;ブログ(中国語)http://voachineseblog.com/heqinglian/2011/01/ai-wei-wei-china-media/

執筆者: Jun