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2024年02月28日 16時02分 | カテゴリー: 総合

友人Yとの再会

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数少ない私の友人のYが、入院していた病院から突然いなくなったのは5年前だった。
失踪したのではないらしいが、意味深な個人情報保護の壁に阻まれ行先は分からなかった。

治療していたのはアルコール依存症だったから、精神を含めその辺りの重篤なことではないかと思ったが糸口が掴めないまま、月日だけが過ぎて行った。

彼とは中学からの付き合いで私の一番の旧友である。頭のいいやつで成績は私よりいつも上位だった。
文学好きで洒脱で都会的な文章を好んでいたが、私はサイエンスやノンフィクションを至上とし、小説のたぐいを胡散臭い虚構として批判していたから対立構造ではあった。しかしだからこそ、お互いの視点に新鮮さと深みを感じ、飲まない私とよく語り合った。
 高校を卒業し、ふるさとから上京する日、駅までのバスの後ろの座席にすわった。見慣れた山も見納めと振り返ると、砂利道の埃の中に黒い自転車が見えた。上京の日は見送るからといっていたから、あいつに違いない。
バスが直線でスピードを上げると自転車はずっと小さくなる、バスがすれ違いや路地などで手間取るといくらか挽回してくる。私は後ろを向いたまま、彼がバスを追い自転車を漕いでくるのを見続けた。
私はこのとき、あいつから生涯の恩を受けたとおもった。
あいつにしてみればたいしたことではなくても、ふるさとを離れる私にはそうだった。
 昨日ふとしたことから彼の消息の噂にふれることになり、山の手近くにある施設を訪ねた。
どういう事情があってここに来たのか。。5年前の彼に何が起きたのか。もしか面会を絶っているやも知れない。
 おそるおそる受付に申し出ると、「ああ今ちょっと散歩に出てますよ」と、あっけなく言われた。ということは重篤な状況ではないということだ。再会できるのは間違いない。しかしこの年齢での5年は大きい、どれだけ容貌の変化があるのか怖いし、私に変わり果てた姿を見せたくないかも知れない。
彼の生活空間に触れたくなり周囲を歩いた。川の対岸に冬枯れの山が見える場所に、年恰好がそれらしい人が山を見ていた、背格好からしてあいつに違いない。なんとなく常識的な接し方をしたくなくて、距離はあったが「おい」と声をかけた。
驚いたように振り向いたその貌は、かなり齢を重ねたがあいつだった。誰だろうと思ったらしいが私だとわかったら笑顔になった。
その態度には違和感もなかったが、話してみると言語機能に障害が出たようで3割ぐらいしか内容が分からない。もはや昔のような会話は出来ないのか。私の現況を一方的に話すことにしたが、うなずくタイミングとか目の動きなどは全てを理解していることが伺われ、頭脳明晰なことは相変わらずのようだ。昔のようなレスポンスで話しそうになる自分にブレーキをかけ、20分ほど風もない陽だまりで一緒にいた。旧友のなんという居心地の良さ。
 私は友人といえど一緒に遊ぶわけではない、彼と一緒に行動したのは19の時、寺山修司に心酔した彼に、無理やり渋谷の天井桟敷に付き合わされたときぐらいである。。山もバイクも全く関心ないあいつ。いつも酒浸りなことを批判すると拗ねるが決裂まではしない。読む本もまったく違って一般的な接点はないのだが。。しかし話が嵩じてくると物理の世界と宗教や文学の奥深さが通底しているように思えるときがあり、面白くて興奮したものだった。
 そして想うのは誰とでもそうなれる訳ではない、同じような秘めたる気難しさがあって偏屈で、そのあたりの波長があう。。いいねいいねの同好の志とでは到達できない、攪拌が新たなものを生む、そう思える間柄だったきがする。
 思えば昨日までは、ひょっとして生死も、と思っていたのに、今日はもう会ってきた懐かしい感触。
 そして毎日眺めている山のふもとに彼の施設が見えていたのだ。
これからは見るたびに「ああ、あそこあいつがいる」と思うだろう。

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2017/12
そして2024/02/28 コロナも収束し久々に面会と思い施設に電話した
[Yさんは昨年7月に。。」一瞬ヒヤリとしたが[出て行かれました」
とのこと. 元気なご様子で。と言われたから安心したが。。
また行方を探さねばと思う  貸した「罪と罰」はいいが
借りた「甲斐国誌」は返さねばならない

執筆者: kazama

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