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2013年10月08日 18時53分 | カテゴリー: 飛行機

北鎌尾根の侵入者

─ A6イントルーダー攻撃機

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▲ 2012年1月5日 退役まじかの厚木基地に帰投する VAQ136 NF500 EA-6B

A6イントルーダー。この異様な形態の飛行機をカッコイイと思う人はいるのだろうか。私には…この機体を形容する言葉が見つからない。

私は、グラマン社が生み出す航空機のファンである。F4FからF14まで、S-2やE-2などに到るまで共通したラインがある。それを言葉にするなら、セクシーなボリューム感だろうか?

なぜか、グラマン社はNAVY御用達だけで、モデラーにもこれだけ人気のあるメーカーはないだろう。しかし、突然そのグラマン社から、言いようもない奇怪な航空機が出現した。それは、昆虫みたいな爬虫類みたいな、有機物的なグロテスクである。飛んでいる姿はともかく、脚を出してタキシングしている姿は蛾を連想させる。

機能美という言葉がある。機能を極めたものには必然的に美が宿る ─ あるいは「伴う」みたいな意味なのだろうか。しかしそれはエンジニアなどかなり玄人の感覚ではないだろうか。

素人はもっと表面的にしか見ていない。玄人に言わせれば、あの奇怪なA-6も機能の塊である。あの蛾のようなA-6も、きっと美しいのだろうと思う。だが、この飛行機のファンは多い。

それほどのマニアでなくてもA-6と言えば、ああイントルーダーね、という。しかし、イントルーダー(侵入者)というニックネームはお似合いである。こっそり(…でもないけれど)忍び込んで悪さをするというのは、あの蛾のような(蛾には失礼な引用だが)形態にふさわしい仕事だと思う。

侵入者

40歳になる記念に通常の登山(クライミングを含まない)では最難関といわれる、北鎌尾根から西穂高岳への縦走を試みたことがあった。新宿発2355の夜行列車で夜明けの大町駅に降り高瀬川沿いの道をひたすら歩いた。湯俣から先の渓谷の道は廃道であり、悪絶を極めた。北鎌尾根の末端である千天出会から天上沢に入り北鎌沢への取り付きを探し当てビバークを決めた時は、すでに薄暗くなっていた。ほとんど眠れなかった夜行列車から、そこまで実働12時間。神奈川からの行程を加えれば、24時間。疲労困憊の道のりだった。

翌日は快晴のなか、北鎌沢をつめ、コルに到達し核心部に入った。北鎌尾根の難関は独標(独立標高点)の通過である。

次第にボリュームを増す、独標の巨大さに圧倒されながら登った。槍ヶ岳に着くまでは水は得られない。ここで一番大切なことはルートの把握と節水である。

いよいよ独標の登りにかかり気合を入れなおす。直登ルートはハ-ケンがずっと上にあり、困難そうなので側壁のトラバースにした。ここの通過こそ北鎌のクライマックスである。緊張のトラバースでホールドを探している時、ズシンと腹に響く轟音が襲ってきた。巨大落石!と思ったが、頭上を見上げる余裕はない。単発の落石ではなく、独標全体が崩れ落ちるかのような轟音の岩雪崩である。よりによってこんな時に!!…あまりのタイミングに、私は一瞬、神の怒りを感じた。

恐るべき規模の岩雪崩は、このホールドごと大音響とともに崩壊してしまうだろう、わたしは恐怖に首をすくめ、訪れる次の瞬間を身を硬くして待った。

しかし、巨大落石は落ちてこなかった。雷鳴か?と思ったが、量感のある音の中から鋭い金属音が突出した。聞き覚えのある音。それは、ジェットエンジンの音だった。ようやく周囲を見回すと、なんと、私の足の下を航空機が飛び抜けていく。轟音の主は、NAVYのA-6イントルーダーだったのである。

突如として天上沢に突入した侵入者は、J52双発全開の気違いじみた爆音を、夏山最盛期の国立公園に撒き散らした。その音は天上沢全体に反響し、岩雪崩のような轟音に発展した。飛行機の音を眼下に聞くと、地上からの反響も加勢して通常よりも音量は増すようだ。通常の縦走路ならまだしも、落石の巣のような独標に取り付いていたから舞台と演出効果は満点である。

A-6は天上沢を湯俣に向かい、深いバンクでトレースする。行く手には、高瀬ダムの手前の高い山がある、どうするのかと思ったら、グンと機首を上げ、急上昇し向こうに消えていった。

その間、何秒だったろうか … 私達が疲労困憊して辿った高瀬川の道を、あっという間に飛び去っていった侵入者。私は唖然としてA-6の消えていった空を眺めた。今のフライトは訓練だったのか…。

並列複座・前方視界抜群のコックピットから、天上沢はどんな風にうねり、そして正面を阻止する山を急上昇して跳び越すとき、二人はA-6への喝采を叫んだのだろうか、、、。

A-6は厚木に帰っていったのであろう、厚木基地は、私の家の直ぐ近くである。どういう経路で帰ったのだろうか。 

侵入者の意匠

A-6は、1966年には日本に来ていた筈である、最初に目撃した時を覚えていないが、かなりの長寿命である。A-6の搭載量は、なんとB-29に迫ろうというのだから驚きである。それが、多用途性を生んだのだろうか。いま、A-6一族のなかで存命しているのはEA-6Bプラウラーのみである、並列2列の4座。乗用車みたいな配列は楽しそうだが、電子戦というハイテクの任務だから、そんな余裕はないだろう。電子機器と格闘してるときに、あんな機動をされたら酔ってしまうのではないかと連想する。タンデムではなく、並列の四座席となると、どうも車の感覚をあてはめてしまう。

厚木基地のイベントで、かなりフライトが充実していた時代があった。F-14やFA-18の派手なフライトに負けじと、蛾のようなEA-6Bも立派に急上昇を見せる。アフタバーナーはないのに、J-52はバリバリと凄い音である。四人も乗って大推力でもないのにさすが軍用機である。しかし、乗用車のような四人乗りで垂直に近い上昇をするのは楽しそうに見えたが、どうだったろうか。

これまで様々なデモフライトを見てきたが、私はアクロバットチームによる統制の取れた華麗な演技よりも単機での荒削りなフライトが好きだ。鳥肌の立つ想いがする。しかし、それでも飛行場でのどんな派手な機動も、北鎌尾根のA-6のインパクトにはかなわない。車も電車もない、徒歩だけの自然の中で、いきなり轟音とともに私の脚下を駆け抜けていったイントルーダー。それから25年を経た今でも、その残像は鮮やかである。私はおそらく、死ぬまでそれを持っていくだろう。

A6一族で残存していたEA-6Bも、2012年2月14日、厚木のVAQ-136が帰国。修理のため残っていたNF-501も、4月12日に帰国し、EA6Bの厚木での任務は完了した。長かったA-6の時代も、ほんとにあと僅かである。終わるとなれば奇怪なフォルムにも愛着を感ずる。A-6には古さを感じない。その時代特有のフォルムというものがあるが、A-6はその何処にも属さない。カッコよかったF-4にはもう旧さを感ずるがA-6にはそれがない。まだまだ新鋭機といっても通用しそうな、依然として難解なフォルムである。

時代に流されない独創性 ── それこそがA-6一族の美しさなのかも知れない。

執筆者: kazama

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