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2023年08月03日 16時09分 | カテゴリー: 総合

人は『言葉』で考えている?

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人は『言葉』で思考ているのだろうか?
これは結構深く考えるテーマだ。
私はいつも山で感じた素晴らしさやら一人の夜に感じた神秘感など,下山して人に話すとき,自らが口にする言葉が微妙に違っても,そう言うしかない諦めがついて回る。
そしてその言葉を口にした途端,それまで胸のうちにあった宝物がその貧しい言葉に吸収され,ただの平凡な出来事になってしまう。
『そうか,言葉にすればたったこれだけの事か…』と思う。誰にも言わず胸のうちでホクホクしてるうちが華だ。或いは胸のうちにしまっておくのが一番いい。と思うようになった。
言葉にすることの弊害がここにある。
一枚の絵からの沁みるような想いを言葉にできるだろうか。
魂までも響く音楽をどう言葉にできるか。またウイリーの極意を(笑)伝えられるだろうか。言葉にできないことは幾らでもある。むしろその世界の方が遥かに深いと思う。
瞑想というのは、言葉の弊害を避けた思考方法ではないだろうか。
むろん人に伝えるとなれば言葉によるしかなく語彙が豊富に越したことないが,それによってだけ思考が深まるのではないと思う。
 このコラムの筆者は職業柄,人にどう伝えるかをいつも思いながらの思考をするからこんな持論になるのは無理もないし、現実場面で大変参考になった。
 しかし語彙のみで考えていると仮定するなら,言葉を得る前の頃の、語彙も何もない人間はモノを考えられなかったことになるし,また動物には思考がないことにもなってしまう。
 むしろ人間が言葉を得ることによって,私が山から降りて豊かなイメージがしぼむようなプロセスがあったような気がする。
言葉は集約であり画一化でもあることだろう。古代人の敬虔さや,動物の神懸かりの能力など,言語という拘束のない、繊細さと豊かさではないだろうか。
 得るものが有れば背後に失うものがある。私もGPSを使うようになり山歩きの勘が衰えた気がする。
現代はSNSも含め多弁すぎて、自らを恥じるのはそんな時だ。
他人と接しない個の時間の大切さ,寡黙な人の言葉が重いのは胸のうちで練られていたのだろう。その逆を器用な人の物言いに感ずる。
言葉よ奢るなかれ。未だ発達段階(かどうか)の言葉では表現しきれないもの,その人が言葉の背後に込めた想いを慮ることが最も大切なことではないかと思う

      2020/6/19
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執筆者: kazama

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