JOURNAL SKIN
by : DIGIHOUND L.L.C.
〒658-0001
Higashinada, Kobe, Hyogo JAPAN
桜があっという間に終わったあと それを引き継いで華やいだ桃も去ってゆく
また来年。。気の抜けたような思いのなか、その光景をふりかえる
昨年は桜と桃の開花がほぼ一緒だった
雨のなか小山城址の咲き具合を見に立ち寄る
春は真言宗の名刹慈眼寺の桜から始まる
晴れればここは 菜の花と桜の 絢爛豪華
(震災の被害を受けた仙台空港)
明日11日は大震災から13年…地震と津波には主体というものがない。人間で言う意思も目的もなく、たとえ人類がいなくてもやってきた。
比べて3月10日の大空襲は100%の人災である。一夜にして10万人という犠牲者を出さなければならない人間の『意思とその目的』とはなんだったのだろうか。
天災は防ぎようもなく、祈ってもやってくる、ただ防御に英智を集結するしかない。しかし人災は英智を集結すれば発生そのものを防げる…本来なら天災よりずっと対処可能なはずなのに…
天災と病魔だけでも十分な脅威がある、加えて争い合うことへの莫大な費用と英智という不条理をどう考えればいいのか。…知恵の裏側に潜む人間の性というしかないのか…
歴史は戦いの歴史であり、それが世界を変えてきた。 『映像の世紀』の音楽に、その暗澹たる重苦しさが表現されている。
https://www.youtube.com/watch?v=Iv-FTxisEpM
2016 3月10日
数少ない私の友人のYが、入院していた病院から突然いなくなったのは5年前だった。
大山に沈む冬の陽 ノラと私に 同じ日が過ぎてゆく
この色 ガータゴヤの小屋(笑
…この本を読むのは2度目である。前回に感動したところやら目から鱗のような個所に赤線やら括弧がしてある。
ところが今読み返してみるとなぜ感動したのか解らない。
この数年の間に私の何かが変わったのか…
それは考え方ではなく理解力であり脳の切れ味のような気がする。
たしかに難しい内容であり一言一句読み飛ばせない、数学のような論理の極みである。
しかしそれを理解できたからといって生きる上で何の足しにはならないし、むしろ有害なことだろう。真実か有益とは限らない。真実を知らない方が幸せなことが多い。
今ってなんだろう。現代とか言う広いことではなく、
過去と未来の間としての今を厳密に定義するのは難しい。
未来が今になり過去になる。未来も過去もさわれない。
唯一今だけがさわることができる。そうだろうか?。。
一秒前はもうさわれない。今というのはとてつもなく尖った切っ先で、さわれない気がする。目にした今はすでに過去ではないだろうか。
八月16日の大文字焼きが長年行われてきた
傾斜地での作業の難しさと山火事への危険性もあり
昨年からLEDによる点灯になった、長年の風物詩の最後の姿
‥ 子供とチャットGPT …
♪〜 あおい空〜 とラジオが唄い始めたら双子が
『白い雲!』と間髪を入れず言う。
初めての山崎ハコの歌はその通り流れてゆく‥
『ほらね』と双子チャットGPTは得意げだ。
最近この季節の新緑と青空に恋焦がれる。
若い時は圧倒的に秋の愁いを好んだのに…
この時は北陸の山の帰路、九頭竜の源流のめくるめく5月。
この明るさとあの稜線への憧れに胸がキュンとなる。
この感情は小学生のランドセル姿にも感ずる。
若い時は何も感じなかったのにこの変化は
自分が失った若さが見えるからではないか。
10代の教習生の送迎のさい、目前の横断歩道を
ランドセルの小学生たちが通る
『小学生がたまらなく見えるけど,どう?』と試しに聴いてみる
『うーん,なんも感じないですけどね』
無理もない,つい数年前の自分たちの姿でもあるわけで…
年取るとモノの見え方って変わるもんだよと言っておいた。